相対するもの

誰にでも平等に降り注ぐ命の恵みは、ネロにとっては眩しすぎるものだった。
太陽から逃れて、日陰を選んだ足元には、いつだって自分を手招きする
空虚な穴が、あいていた。
ふとした瞬間・・たとえば、懐かしい匂いをはらんだ風が、頬をゆるく撫でたとき。
無性にこの身を落としてしまいたいと思うことは、あったけれど、
そんなとき決まって自分をこの場所に繋ぎとめたのは、随分遠い過去の記憶だった。
優しくて、あたたかくて・・少しだけ、切ない。そんな記憶。
そして、それとはまるきり逆の、憎しみや、執着といった醜い感情。
それらが全てごちゃ混ぜになって、ネロを繋ぎ止めた。ときにネロを傷付けたり、
励ましたりしながら。酷いのか優しいのか、よくわからない、この場所に。

ネロは目の前の男を、冷めた目で見下ろした。
怯えきっている男は、まるで神に命乞いをするように、必死で両手を組んでいる。
不快だ。神という存在は、ネロにとってももっとも忌むべき相手だった。
そう、悪魔よりもだ。幸福や不運を与えるだけ与え、なにもしてはくれない、
そこにいるのかいないのかさえも、分からない。
ただ、見守るだけの存在だとしたから、それほど残酷なものはないだろう。
ネロは胸ぐらを掴んで、地べたに這いつくばっていた男を無理矢理立たせた。

「助けてくれ!知っていることはなんでも話す・・!」

男の顔は血まみれだった。少しばかりの脅しの意味だったが、男には効果的
すぎたようだ。屈強そうに見えて、与えられた暴力にはすぐに根を上げた。

「この街に、スパーダの子孫がいるな?」
「スパーダ?・・なんのことを言ってるか知らねぇが、そんな奴はこの街にいない」

ネロが問いただす視線をやると、男は本当だ!と言って慌てた。
嘘をついているようにも見えなかった。自らの命の危機を前にすれば、人間は
他のどんなものでも差し出す狡猾さを持っている。
この点に関して、ネロは人間が最も愚かで、惨めな生き物だと思っていた。

「じゃあ、言い方を変えようか。この街に、"悪魔のような人間"がいるだろ?」












ゴミ溜めのなかで、電話が音を上げる。その様子ときたらまるで、このゴミを
どうにかしほしいのだと泣きついているようにも見えたが、ダンテは目に入る
ピザの空き箱やら、潰れた缶などをきれいに無視して受話器を取り上げた。
お決まりのセリフと、お決まりのパターン。
ほとんどの場合、デビルメイクライは閉店だ。表向きではあるにしろ、
便利屋という看板を掲げてしまったことが、そもそもの間違いだったのかもしれない。
電話をアテにしてはならないということだ。
いっそのこと"悪魔専門"なんて謳ってみてはどうだろうか、とダンテは考え、
きっと今より暇になるに違いない、と思い至った。
厄介事を持ち込む人間ほど、用心深いものだ。裏もかかずに、字面通り受け取る
者など、よっぽどのお人好しでなければ、そうそういない。
おまけに便利屋の方の客足もパッタリ途絶えるだろう。一様にみな、悪魔だなんて
胡散臭い、と顔をしかめながら。

頼みの綱である情報屋は、ここ数週間てんで姿を見せていない。
ダンテが受話器を置くと、すぐにまた電話が鳴った。夫の浮気調査ならお断りだと
告げる前に、電話の向こうの相手は、口早にダンテを攻め立てた。

「・・悪いがもうしばらく待ってくれ」

ダンテが断るのは、なにも依頼だけではない。借金の取り立てもだった。
仕事がなければ、金が入らない。金がなければ、借金は返せない。
簡単な図式だ。しかし、そんな理由で納得してくれる取り立て屋だったら、きっと
この世で借金に泣く人間はいなくなるはずだった。
ダンテはなんとか相手をやりこめて、電話を切った。やれやれ、忙しい夜だ。
借金ばかり増えても、腹が肥えることはないというのに。
こういうときはさっさと店仕舞いをして、一杯ひっかけるに限る。
ダンテはコートを羽織り、店を後にした。



馴染みのバー、馴染みの顔ぶれ。
しかし、そこへダンテが足を踏み入れた途端、一気に周りの空気が変わった。
ジロジロと不躾に送られる、あからさまな視線。目があうと、慌てて逸らす。
中にはイスから立ち上がり、早々に店を後にする者も。
ダンテは片眉を上げてこの事態を見やったが、あいにく、それを気にするほどの
細い神経は持ち合わせていなかった。
カウンターにどさりと座り、マスターにいつもの品を頼む。
すぐにビールとピザが、ダンテの前に置かれた。このとき、注文の品を置く
マスターの手が、小刻みに震えていることにダンテは気付いていた。
ピザの切り端を掴み、口の中へ。
ダンテがいつもの味に舌鼓をうっていると、マスターが。

「・・悪いが、それを食ったらすぐに帰ってくれ」

言い難くそうに、しかしハッキリとそう告げた。

「理由を聞いても?」

ダンテはビールを煽りながら尋ねる。マスターは目を合わせようともしなかった。

「そんなことは、俺の口から言わせないでくれ、頼むから」

気遣っているのか、それとも懇願しているのか、マスターはそれだけ言うと
背を向けてしまう。その背中が、もうこれ以上なにも喋らないぞ、と
言っているのは明らかだった。だからダンテもそれ以上なにも聞かず、
Lサイズのピザを平らげて、代金をカウンターの上に置くとすぐに店を出た。

店主と客というだけの関係ではあったものの、つい先日まではそれなりに親しみが
あったのは、確かだ。
なにか良からぬ噂でも耳にしたのだろうか、とダンテは考え、あまりに心当たりが
多すぎて考えるのを止めた。悪魔退治を稼業にしているのだ。
おかしな噂が立って、変な目で見られることには慣れていた。・・しかし、ここ最近
情報屋が姿を現さないことにも関係があるのだとしたら、早々に解決した方がいい
いい問題なのは確かだった。怯えられるのもいい気分はしないが、それ以上に
仕事が来ないということは、ツケと借金を抱えるダンテにとって大問題なのだ。





翌日、レディがデビルメイクライを訪れた。
ダンテはデスクに足を放り投げて彼女を迎えた。

「・・少しは掃除したらどうなの?」

空いたスペースを探してテーブルに腰を下ろしたレディが、ダンテに向かって。

「金が入ったらハウスキーパーでも頼むさ」
「お金は、もっと有効的に使うことをオススメするわ」
「それで?わざわざ部屋を掃除しろって注意するために来たのか?」
「まさか」

レディはダンテを挑むような眼差しで見た。

「仕事なら大歓迎だ。なんなら報酬をまけたっていい」
「珍しくセール中ってわけね?でも残念ながら、あんたに仕事を頼む人間なんて
誰もいないと思うわ――とくに今は、ね」
「・・だろうな」

ダンテが納得したように呟くと、レディは首を傾げた。

「なんだ、分かってたの」
「そんな気はしてたさ」

面倒事があると、なにかと顔を見せていた情報屋達が、一斉に姿を
現さなくなったあたりから。なにかあるのだろうとは思っていたが、昨夜の
やりとりで、それは確信に変わっていた。

「それで、心当たりはあるの?」
「ない。いや、あるが」
「どっちなのよ」

レディが呆れたように言うが、冗談を言ったつもりはなかった。

「心当たりがあり過ぎて、ない、ってところだ」
「・・つまり、心当たりはあるけれど、今の状況に対しては納得できないってこと?」

レディの要約に、まあ そんなところだ、とダンテは頷いて。

「今まで散々しでかしてきたからな。今更、というのが正直な感想でね」
「確かにその通りね。用心すべき相手だと気付くには、遅過ぎるわ」

そして、レディはもったいつけるように少し沈黙してから、口を開いた。

「・・昨日、喧嘩を売られたの」

そう言うと腕まくりをしてみせ、レディはその下に巻かれていた包帯を見せた。
ダンテは目を細める。

「珍しい。お前がそんなヘマをするなんてな」
「――ヘマじゃないわ。単純に勝てなかった。すごい力だったわ」

人間ながら凄腕のデビルハンターといわれるレディが、素直に負けを認めるとは
珍しい。なにか嫌な雲行きになってきたな、とダンテは思った。
いや・・面倒な、というべきか。

「なんとか逃げてきたけど、このザマよ」
「それもこれも、俺と関わったから――ってことか」
「そういうこと」

袖を直して、レディは包帯をもとのように隠した。

「こういう場合、俺が謝るべきなのか?」
「心当たりもないのに謝られたって、迷惑なだけよ」

つっけんどんにレディが言う。気にするな、と言っていることはよく分かった。
彼女らしい気遣いだ。

「もうひとつ、面白い話しをしてあげましょうか?」

レディはデスクから降りて、店の入り口に足を向けた。 肩越しにダンテを振り返り、オッドアイの瞳に鋭い光りを宿らせて。

「そいつ、あんたと同じような銀の髪をしていたわ」





男を見つけたのは、偶然だった。
いきつけのバーもクラブも出入り禁止を喰らったダンテが、随分早い夜を終えて
自分の巣へ帰ろうとしていた時だ。見知った顔が、路地に消えた。
ダンテは赤いコートを翻し、逃げる男を追いかけた。
男は焦るあまりダストシュートのゴミにつっこみ、盛大に転んで自らダンテを
迎えた。ダンテは男の首根っこを掴まえ、ゴミの山の中から引っ張り出してやる。
ちょっとした親切心のつもりだったが、男はさらに顔を青くさせて唇を震わせた。

「まるで、亡霊でも見ちまったって顔をしてるぜ?」
「勘弁してくれ・・!」

男が青いのは、なにも顔色だけではないということに気付いたのは、雲の影に
隠れていた月が、その姿を見せたからだ。殴られたような傷跡があちこちに、
青い痣をつくっている。中にはドス黒い紫色に変色している部分もあった。
見るからに痛々しい。ダンテは眉を潜めた。

「間違えた。亡霊なのは俺じゃなくて、お前の方だったみたいだ」
「離してくれ!あんたと話すことはなにもない!」
「ああ、心配しなくとも、ちゃんと離してやるさ」

言葉通りダンテが手を離すと、男はどさりと地面に尻餅をつき、その姿のまま
じりじりと背後へ下がる。男が逃げようとするのを阻止するため、ダンテは
男が着ているコートの端を踏み付けて、その体を地面に縫い付けた。
ひぃっ、という情けない声が上がる。

「いい加減、こっちも困ってるんだ。
あんた等の力を借りないと、満足に飯も食えない身でね」

男は、ダンテの店によく出入りをしていた情報屋の1人だった。

「あ、あんたに渡す、し、仕事なんて、ない・・!」

ダンテの足の下からにコートを引き抜こうと力みながら男が言う。

「俺も、無理を言うつもりはないさ。こっちから注文も付けられないしな。
ただひとつ聞きたいことといえば、その酷い顔は誰にやられたかってことだ」

ダンテが問うと、男は視線をさまよわせて、少し黙った後、おずおずと口を開いた。
おびえるような眼差しは、目の前のダンテに向けられたものか、それとも自分を怪我
させた相手を思い出しているのか。とにかく、酷く怯えた様子だった。

「・・あれは化け物だ・・そうに違いねぇ」

そう言って、ぶるりと体を震わせた。

「化け物、ね」
「ほ、本当だ!確かに人間みたいな面はしてたが、・・あれは化け物だ!」

ダンテが顎に手をあてながら息をついたのを見た男は、ダンテに、自分が言って
いることを嘘ではないと、慌てた様子で訴えた。

「分かった分かった。なにも疑ってる訳じゃないさ。・・で?その化け物とやらは、
どういう理由であんたを襲ったんだ?」
「・・そんなことは知らねぇよ。突然だった。恨まれる理由なんてないし、
ましてや顔も見たことないような奴の恨みを買うはずがねぇ」
「顔を見たのか?」
「・・・見た、が・・・覚えちゃいねぇ。とにかく、知らない奴だった」
「なんだよ、そりゃあ」
「し、しかたないだろ!マトモに顔なんざ観察してる余裕はなかったんだ!」

もとより期待はしていなかったが、それにしてもアテの外れた返事に、
ダンテは少々呆れた。

「もういいだろ・・!これ以上あんたといたら、命が幾つあっても足りない!」

ダンテがコートから足を外すと、男は不格好につまづきながら立ち上がった。
ずくに逃げ出そうとする素振りで背中を向けた男の襟を、ダンテは後ろから掴んで。

「他にもなにか、俺に言うべきことがあるんじゃないのか?」
「な、なにも、・・ねぇよ!」

襟を掴まれているため、男は喉を詰まらせながら答えた。
本当か?と問う声に、一瞬目を泳がせたのを見逃さない。

「隠してることがあるなら、全部吐いちまった方がいいぜ?」

動揺している男にさらに追い討ちをかけるように言えば、男はすぐに
観念したようだった。
情報屋のくせに口が軽いというのは、最大の欠点ではなかろうか。

「・・その、居場所を・・」

後ろめたさを隠すような、か細い声。

「なんだって?」

ダンテが聞き返すと男は激しくかぶりを振った。
自分に非がないことを訴えるのに、必死になっているようだ

「悪気はこれっぽっちもなかったんだ!・・ただ、そうしなきゃ確実に殺されてた!」
「言い訳は後で聞く。で、あんたは何を喋っちまったんだ?」
「・・・あ、悪魔みたいな人間はいないか、と・・聞かれて・・・それなら、と・・」
「・・俺の名前を出した――ってわけか」
「悪気はなかった!信じてくれ!」

ダンテはコートの襟から手を離す。突然解放された男はつんのめったが、
なんとか足を踏ん張って転ばずには済んだ。

「悪気はなかったってんなら、今度でかい仕事を紹介してくれよ」







ウェイトレスが、注文のストロベリーサンデーとコーヒーを、テーブルの上に置く。
ダンテはトリッシュの前に置かれたストロベリーサンデーを自分のもとまで
移動させて。トリッシュもまた、ダンテの前の置かれたコーヒーカップに手をかけた。

「あなたにしては、珍しく、趣味のいいところね」

トリッシュはあたりを見回してから気に入ったわ、と付けくわえ、コーヒーに
口をつけた。通りに面したオープンカフェは、街路樹の緑と、降り注ぐ太陽の
光りがウリの、"真っ当な"店構えだった。

「俺としては、もう少し湿っぽくて寂れてる方が好みだが・・」

明るさを絵に描いたようなその雰囲気は、ダンテ好みとはいえない。
しかし、例の鬱陶しい視線を感じないでいられることを配慮すれば
それなりの快適さはあった。

「なんだか最近あなたのまわり、いろいろと騒がしいみたいじゃない?」
「解決に協力してくれる気にでもなったか?」
「――そうね。・・と、言いたいところだけれど、こっちにも仕事があるのよ」
「俺の命よりも、大事な仕事か?」
「さあ?」

そう言うと、ふふ、とトリッシュは、一枚上手の笑みを見せた。

「・・でも。そう簡単に奪われる命なら、仕事の方が大事かもしれないわね?」

それにダンテも笑い。
カップをソーサーに戻すと彼女はおもむろにサングラスを外した。
悪戯な瞳を覗かせる。

「あなたの方から、動いてみたらどうなの?」
「それじゃあ挑発に乗るようで、符に落ちない」

トリッシュは怪訝な顔になった。

「じっとしていられるタイプでもないくせに、無理はしない方がいいわよ」
「こう見えても、落ち着きはある方なんだ」
「そうなの?・・それは初耳、」

おかしそうに吹き出したのは、もちろんそれがダンテの冗談だと分かっているからで。

「いつまでも野放しにしおいて、うっかり噛み付かれないように気を付けることね」
「なに、そこまで間抜けじゃないさ。・・それに、そろそろだと思うしな」
「・・それは、いつもの勘?」
「ああ」

ダンテは頷いた。それから肩を竦めて。

「俺の勘は、外れた試しがないだろう?」
「そうね。――悪い方の、だけど」
「・・それは言わない約束だ」

トリッシュには、一度も勝てた試しがなかった。





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