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誰のための腕 一部の人間の身勝手な行いで、大勢の罪の無い人達が死んだ。 遺された人々は悲しみを抱え。瓦礫と灰にまみれた大地に膝をつく。 重たい暗雲が空を黒く染め、冷たい雨が頭上から降り注いだ。 ・・でも。 それでも。 私達は生きている。 生きている限り、明日はくるから。 雨が髪を伝い、雫が頬に落ちる。 キリエはそれを気にすることなく、 ただただ、空を仰いでいた。 重い雲の隙間から、太陽の光りが差し込むまで、ずっと。 ペンダント、手帳、カフス、眼鏡。 キリエは土と血に汚れたそれらを、柔らかな絹の布で丁寧にふいた。 次に木箱の中から手に取ったのは、くまの縫いぐるみ。 それを見た途端、胸がひどく痛んだのは、それらが全て遺品だったから。 愛嬌のある顔立ち。真っ黒のビーズでつくられた縫いぐるみの目。 無機質である筈のその瞳が、キリエには、持ち主を失って悲しんでいるように 思えてならなかった。 死んではならなかった命が。簡単に奪われてしまったのだ。 キリエはそっと、その縫いぐるみを、白い布で包んだ。 背後で、ギィ、と音を立てて劇場の扉が開く。 振り向けば、なんとも言えない表情のネロと目が合って。 「・・ごめん」 申し訳なさそうに、静かな声で。 「どうして?」 「見つけられなかった・・」 ネロは、なにを探しに行ったのだろう。 最初は劇場の隅でふたり、遺品の整理をしていた。 しかしネロは、しばらくしてからおもむろに立ち上がり、なにも言わずに 出て行ってしまったのだ。キリエはネロがいったいなんのことを 言っているのか分からず、首をかしげた。 「クレドの、」 重々しい口調で、ネロが口を開く。 兄さん、の。 その名前を聞いた途端、心臓が跳ねた。 「なにかあったらって思ったんだけど・・見つけられなくて」 ごめん・・と、もう一度。 どうして?ネロが謝ることなんて、ひとつもないのに。 「ううん。いいの・・わざわざありがとう、ネロ」 キリエは緩く首を振り、胸に手をあてた。 大切な、かけがえのない、家族。幼い頃から、時に父親のように接してくれて、 育ててくれた、大切な兄さん。ネロが一緒に暮らすようになってからは、 まるで本当の3人家族になれたみたいで嬉しかった。 「兄さんなら、・・ちゃんとここにいるから」 胸の中に、いつまでも。 とても厳しい人だった。けれど、胸の中には優しい思い出が沢山ある。 愛されていた記憶が、ちゃんとあるから。 心配気な眼差しを向けるネロ。安心させたくて、キリエは笑ってみせた。 「私なら、大丈夫」 「嘘だ」 キッパリと、否定される。 ネロが、まっすぐキリエを見た。 薄青の、まるで湖のように澄んだ色。キリエはそんなネロの瞳が とても好きだったが、今は後ろめたさばかりを感じてしまう。 「そんな、今にも泣きだしそうな顔で言われても・・信用できない」 おかしいな。 ・・笑ったつもり、だったんだけど。 ・・・大丈夫のつもり、だったんだけど。 兄が亡くなったと聞かされてから、一度も泣かずにいれたのに。 ネロの眼差しに、しばし呆然として、それから急に胸が苦しくなった。 キリエは、自分の視界が涙で歪むのを感じて。 そっと、温かい腕が、自分の体を包み込むように背中へと回されたことを感じた。 ネロは、キリエを抱き締めた。 彼女の肩が、小さく震え出す。細い体だ。 こんな体で、唯一の肉親を失ってもなお、涙ひとつ流さずに耐えていたのかと。 大丈夫だと言わせて、笑顔を作らせていたのかと思うと、悔やまずにはいられない。 守ると決めたのに、全然支えになってやれてない。 それどころか、無理をさせてしまう始末で。 とうとう嗚咽を上げて、本格的に泣き出してしまったキリエの背中を、さすってやる。 人を慰めることに慣れないそれは、酷くぎこちないものだったけど、 それでも、この腕が彼女のためにあるのだと伝えたくて。 泣きたいときに、泣いてほしい。我慢しないで、欲しい。 そうやって耐えることは、きっととても苦しいことだから。 キリエには、苦しい思いをしてほしくないから。 ひとしきりネロの腕の中で泣いた後、キリエは顔を上げた。 でも、泣き濡れた顔を見られるのはなんだか恥ずかしくて。 やっぱりもう一度、ネロの肩に額を押し付けた。 背中に回されていた手が、今度は髪に。 優しく梳いてくれる動作が、幼い頃の記憶を蘇らせる。 こんなふうに、兄が髪を梳いてくれたこと。 キリエはそれが大好きで、よくせがんでは兄を困らせていたこと。 「キリエ?」 優しい声が、キリエを呼ぶ。 キリエは今度こそ、ちゃんと顔を上げて。 自分を見つめる青い瞳に、たとえようのない安堵感を覚えたのだった。 「・・嘘じゃないの。本当に、大丈夫」 首を傾けて、ネロを見上げる。 なにか言いた気な彼の様子にキリエは笑って。 「1人だったら、耐えられなかったかもしれない・・でも、2人でなら」 ネロが、いてくれるなら。 2人でなら、きっと。 いつまでも、どこか弟みたいに思ってた。 でも、いつの間にか違ってたんだね。 「大好きよ、ネロ」 ブラウザバックでお戻り下さい。 |